映画について

見た映画の感想を雑に書き綴ります。ネタバレに対する配慮しない。見てねってより自分向け見た人向け やる気がないのでお休みしてます

沈黙

サイレンス

 

一年遅れでやっと見ました、3日前です

偶然聖書の授業終わったばっかりでちょうどいいタイミングって感じだったけど、この映画見るのにタイミングとかある?いつ見てもしんどいよ…

 

「この世は地獄」の証明みたいな話だった

原作を読んだことはないけど、こんなしんどい話書くなよ馬鹿野郎、と遠藤周作を責めてしまった

 

なんかもう最初20分くらいでつらくて泣きそうになったんだけど、後半に行くに連れてしんどい地獄すぎて、もう内容に頭がついていけないみたいな状態になっちゃって、悲しくて泣くとかじゃなくて、なに言ってる???ってひたすらにドン引きしてた

 

聖書の内容が何回も出てくるから知っといたほうがわかりやすいし傷が深い

オタクは"""宗教"""が大好きだからおもしろいと思うよ、まじモンの地獄だけど

 

 

3日も前だし心の傷が深すぎて書こうと思ったことだいたい忘れてしまってるんだけど見返す元気もないからとりあえず覚えてることを

人物名だるいから全部俳優名前で書きます…

 

 

モーセがエジプトでもらった十戒の中に、偶像崇拝をしてはいけないっていう、クリスチャンじゃなくても知ってる有名なやつがあるんだけど、

 

あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに使えたりしてはならない。

 

って出エジプト記の20章に描いてありますね

キリスト教の人これ守ってなくね?って話は置いといて

この像を作るなって話は聖書の中で繰り返し出てくるんだよね、新約にも旧約にも

 

こんだけしつこく言うってことは、みんなが守れないからってことなんだよね

って、先生が言ってたのを

 

最初の村で2人の司教が村人に自分のロザリオ見せたら凄い勢いで感激されて拝み倒されるシーンと、五島の島でガーフィールドが数珠を分け与えるシーンで思い出した

 

人が形のないものを信じ続けるのは難しいんだよね、特に禁教されて隠れて住んでる日本人キリシタンたちにとっては

 

 

 信仰を心の拠り所にするのはかなり自然なことで、山を動かすほどの信仰はなかったかもしれないけど、命を投げ打てるほどの信仰はあったんだよね

 

捕らえられて棄教を迫られるガーフィールドにとって、それは死を選ぶよりも不可能なことだったから、日本のキリシタンの代わりに死ぬことを何回も申し出たりする場面があるけど

 

だからと言って自殺はしないんだよね、宗教上の理由で自殺は許されないから

それに、自分たちが死ねば日本でキリスト教の根が消えてしまう、という事実を認識してて、死なないのも責任をちゃんと待ってる結果だなって思った

 

 

日本人として暮らしてるリーアム・ニーソンガーフィールドキリシタンについて説教したことはあまり納得できなかったけど、あの人が言ったキリシタンたちは正しいクリスチャンではない、我々の神を信じているわけではないって話はだよなって思った

 

禁教の中で隠れて生きてるキリシタンたちがちゃんと聖書を読んでるって、思えないんだよな…心の拠り所としての宗教、イエス様はすごく大事にされてるだろうけど、ポルトガルからはるばる宣教師に来た人たちの知ってる神を知ってるわけじゃないだろうなって

 

だからって、リーアム・ニーソンはそんな理由で自分の神を捨てたわけじゃないけど

 

結局ガーフィールドも同じ目に合って同じ道を歩むことになるけど、

十字架にかけられる前日、ゲッセマネで祈ったイエスの気持ちをここで初めて本当に理解したって思った直後に、裏切った形のリーアムにおれも同じだったよって言われるシーン、とてつもなくやばい

人間は弱いのに人間の持ち得る信仰は遥かに強いんだな

 

 

踏み絵って、みんな中学校くらいから歴史の授業で習ってるし、みんな「死ぬくらいなら踏めばいいじゃん」って思ってたと思うんだよね、わたしも思ってたし、この映画見てても思う

 

マジで踏めばよくない?聖書にそんなことしちゃいけないって書いてないよ?

 

素朴な日本人は、イエス様の絵を踏むのはって躊躇ってもおかしくないっていうイデオロギーがあるけど、宣教師の人たちは普通に踏めない?だって聖書に書いてないもん…

クリスチャンじゃないからそう思う

 

まあ宣教師たちに迫られた踏み絵は棄教するかどうかっていう、状況的に意味深すぎるパフォーマスだったんですけどね…

 

ガーフィールドが結局棄教を選んで、踏み絵をした時、ずっと見えていたイエスの顔が、スーッと闇の中に消える描写が一番つらくて泣ける

 

信仰に生きる人間が負けるところって、こんなにも見ててつらいものなんだなって知りましたね

 

でも、負けても他人の名前をもらって生きてても、心の中にいる神が消えることはなかったっていうオチもめちゃくちゃ力強い、信仰ってやつはマジでやばいんだな…って、ただただその一言だわって映画だった、と言ってもいい

 

さきに棄教したあのリーアムも、本当は神と共に生きてるってちらっと見せられたしね

 

この話のタイトルは沈黙だけど

どうしてこんなにも苦しんでるのに沈黙を保ったままなのか、どうして助けてくれないのか、この苦難に意味はあるのか、という神義論を現場からお伝えします、みたいな話だったけど

神は沈黙してないんだよね

 

ガーフィールドは何回も何回も神の声を聞くんだよね

 

共にいる、という感覚は常にあったでしょうけど、本当に苦しくてわからない時、イエスは返事してくれてたんだよね

 

 

 

あの何回も裏切っては戻ってきて懺悔する窪塚洋介がマジでわからないんだけど、結局あの信じられなくて哀れで卑怯でかわいそうなキチジローが最後まで、一緒にいてくれたんだよな…マジでこいつよくわからないから2回目見たら考えたい

 

日本語わからんのに方言で捲したてられて聞き取れなくてがんばるけどやっぱり無理だったから諦めたアダムドライバーめちゃくちゃかわいいですよ…